2008年05月29日

永禄元年〜永禄2年

応仁の乱〜大坂夏の陣までのおよそ150年間を戦国時代と想定し
年代順に年表と記事を掲載。

重要事項は年表に記し、特筆すべきエピソードは
マークをつけ、記事にしています。

間違いがあったらごめんなさい。


1558年  永禄元年

天皇 正親町  将軍 足利義輝



1月10日   飛騨で三木氏が急速に台頭、三国司の姉小路氏名跡を継ぐ。

5月19日   三好長慶の家臣松平久秀らが京都市中を一万五千人の兵で巡察する。

6月7日   永禄に改元しているにもかかわらず幕府が弘治年号を使用していたため
        朝廷が改元を朽木谷に潜伏中の将軍足利義輝に通知する。

閏6月18日  北条氏康が小田原から下総まで伝馬をださせる。

7月14日   三好長慶が市中の地子銭を徴収する。

9月3日   尼子晴久が毛利氏から石見銀山を奪回する。

9月25日   信濃善光寺の本尊、甲府に移される。

11月27日  将軍義輝が六角義賢の仲介により、三好長慶と和解し勝軍地蔵山城から入京。




※飛騨で三木氏が台頭

飛騨では、三木氏の前当主直頼が四年前に没して以来、
戦乱が起こったが、これは三木氏と飛騨国司姉小路氏との戦いだったらしい。
この戦いに勝った三木良頼が朝廷より従五位下飛騨守に叙任され、
翌年には飛騨国司に任命された。


※北条氏康、伝馬制度を確立

北条氏康が、大須賀式部丞(おおすがしきぶのじょう)の用いる伝馬二頭に対して、
小田原から下総までの通行を保障する伝馬手形を発行した。
すでに大永年間(1521〜28)以降、北条氏は街道要所に宿を定め、
伝馬役を徴発して物資や人の移送にあたらせる伝馬制度の整備を進めており
氏康の代になっていちおうの完成をみた。




1559年  永禄2年

天皇 正親町  将軍 足利義輝



1月11日   少弐冬尚が勢福寺城で龍造寺隆信に攻められ自害。

2月2日   織田信長が上洛して将軍足利義輝に拝謁する。

2月12日   北条氏康が『知行役之帳』を作成する。

6月29日   将軍義輝が上杉謙信に大友宗麟より進上された火薬の調合書を贈る。 

10月6日   狩野元信没。

12月10日  日蓮宗妙本寺の住持日我が『いろは字書』を著す。

12月13日  四辻季遠が立花の絵本を朝廷に献ずる。





※織田信長、将軍義輝に拝謁

尾張の大半を統一した清須城の城主信長が、
八十人ほどの供をつれて上洛し、将軍義輝に拝謁した。
義輝から尾張支配の大義名分を得ることが上洛の目的だった。
拝謁後、信長は京都・奈良・堺を見物したのち、
八風峠(滋賀県永源寺町)を越え、伊勢を経て清須に帰った。


※北条氏康『知行役之帳』を作成

北条氏康が四代氏政への代替わりにあわせて、太田豊後守らを奉行として
家臣の一人一人について眼前で軍役高を確定し、帳面に記させた。
この帳面は当時『知行役之帳』(ちぎょうやくのちょう)と呼ばれ、
小田原衆、江戸衆など、城を単位に組織した家臣団ごとに作成された。








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posted by そるらっぴー at 22:21| 埼玉 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国150年ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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