2008年08月09日

慶長13年〜慶長14年

応仁の乱〜大坂夏の陣までのおよそ150年間を戦国時代と想定し
年代順に年表と記事を掲載。

重要事項は年表に記し、特筆すべきエピソードは
マークをつけ、記事にしています。

間違いがあったらごめんなさい。


1608年  慶長13年

天皇 後陽成  将軍 徳川秀忠



1月     将軍徳川秀忠が仙台藩主伊達政宗に松平姓を与える。

5月30日   家康が駿府から女歌舞伎や遊女を追放する。
        のちに二丁目に遊廊を設ける。

5月     角倉素庵、本阿弥光悦が嵯峨で『伊勢物語』を刊行。

6月4日   狩野光信死去。

7月21日   蹴鞠の宗家飛鳥井雅庸が蹴鞠道の免許権を得る。

8月     米沢藩が年貢の村請制を実施する。

10月29日  周防国山代周辺の百姓が検地反対一揆をおこす。

12月8日   幕府が永楽銭を使用禁止とし、鐚銭を通用銭とする。




※「奥州王」政宗、松平の姓を許される

徳川が松平の姓を許したのは政宗に限らなかった。
秀吉が国持大名に羽柴・豊臣の姓を許したように、
徳川もまた外様大名十数家に松平姓を許している。
伊達のほか、浅野・黒田・島津・鍋島・蜂須賀
前田・毛利・山内の諸氏がそれである。



※幕府が永楽銭の通用を禁止

幕府が永楽銭の通用を禁止し、以降は鐚銭(びたせん)4文が
永楽銭1文にあたる計算で使用することを命じた。
ただし、鉛銭・大割れ・形なし・新銭・へいら銭の5種類は除外された。
また、金1両は鐚4貫文の換算とされた。
これは、幕府が全国の一元的支配のためには、
銭貨相場の統一が必要と考えたからである。




1609年  慶長14年

天皇 後陽成  将軍 徳川秀忠



1月2日   幕府が市中での一季居り奉公と振売を禁止する。

2月26日   島津家久が家臣樺山久高に琉球出兵を命じる。(3月4日出兵)

3月26日   松島瑞厳寺方丈の上棟式が行われる。

5月     朝鮮が対馬藩主宗義智と条約を結ぶ。(己酉約条)

7月4日   宮中の醜聞が発覚し、朝廷が幕府に処分を要請。

8月22日   平戸にオランダ商館が開設される。

9月     幕府が西国諸大名から500石積み以上の大船を没収。

12月15日  有馬晴信が長崎港外神ノ島沖でポルトガル船を攻撃し、沈没させる。





※浪人の一季居り奉公を禁止

幕府は、江戸市中において、武家浪人者が町方奉公人と同じように、
一季居り(いっきおり)とよばれる一年季契約で奉公することを禁止した。
あわせて、奉公勤めをやめた者や百姓が、肩に担いだ棒に商品をさげて
売り歩く振売(ふりうり)をしないようにと触れをだした。



※宮中で公家と官女の乱行発覚

数日前発覚した天皇近侍の官女と公家衆の密通事件に対し、
朝廷は関係官女の里帰りと公家衆の官位剥奪を決定し、
事件を京都所司代を通じて幕府に報告、彼らの処分を委ねた。
これを機に、幕府は朝廷内への干渉を行えるようになった。








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posted by そるらっぴー at 21:37| 埼玉 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国150年ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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